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バトルロワイアル



ストーリー。
主人公、七原秋也たちのクラス、三年B組は、修学旅行の最中、バスで催眠ガスで眠らされ、拉致されてしまう。
目が覚めた場所は、見知らぬ教室。そこで彼らはこう宣告される。

「これから皆さんに殺し合いをしてもらいます」

生きて帰れるのは、殺し合いに勝ち抜いた最後の一人のみ。
その枠を賭けた究極の椅子取りゲームが始まる。


中学生42人が殺し合いをする。この暴力的な内容で、社会問題にもなった作品。
映画化したときにかなり騒がれたので、俺たちの世代で知らない人はいないのではないだろうか?
映画公開時、俺たちは丁度中三で、R15(中学生以下鑑賞禁止)の被害食らって鑑賞できず。
しかし、制作側がその歳の中学三年生が観れるようにと、卒業してすぐの春に特別編で再上映してくれたので、無事観れましたが。実に粋な計らいですな。
まあ、製作者としては主人公たちと同じ、中学三年生に一番見てもらいたかったらしいから。
てか、作り手の意図とか無視して、第三者が規制かけるとか、映画に対する冒涜としか思えんが。さっさと潰れてしまえ、映倫。
報道等ではとにかく暴力的な作品としてだけクローズアップされていたが、実際は極限状況下に置かれた、少年少女の心情を書いた青春ドラマだ。
友達、好きな人、信頼、裏切り……そういう、思春期の青臭い人間模様を、殺し合いを通じてこれでもかと描いている。
原作版は角川ホラーの賞で最終選考まで残るも、審査員からめちゃくちゃに酷評されたらしい。
これだけのヒット作を酷評とは。その時の審査員の目は、間違いなく節穴。
審査員のコメントに「金八先生の露骨なパロディが出てきて不快」って感じのがあった。
映画版とかしか知らない人には「??」って感じかもしれないですね。
映画でビートたけしが演じた教師、実は原作では金八先生なんですよ。
いえ、正確には坂持金発(さかもちきんぱつ)。長髪で背の低い、口調も完全に金八先生。しかも極悪な。ビートたけしが演じたのは、どこか悲哀のある中年だったのに対し、こいつは完全に政府側で血も涙もない。
設定本によると、本編ではカットされたが、「贈る言葉」を歌ったりするシーンもあったらしい。これは酷い(笑)
映画化する際に、教師役は武田鉄矢がやってくれないか密かに期待したものだが……みごとに裏切られました、残念です。
映画版はまあ良かったけど、良作止まりかな。悪くはないけど、原作が良すぎるのでどうしても比べてしまう。
バトルロワイアルでない、普通のアクション映画としてみたら、まあ面白いけど。

ネタが過激で暴力的なのが騒がれていたけど、はっきりいえば生き残りをかけたデスゲームというのはさして目新しいものではない。
前に書いた、クリムゾンの迷宮とかまさに、バトロワルールそのままだし、古いのでいえば甲賀忍法帖とかも、勝ちが決まるまで殺し合うデスゲームだし。
この小説の魅力はキャラクターだな、やっぱり。絶対、中学生じゃないっていう濃すぎるメンツだし(笑)
主人公の七原秋也は熱血正義バカだが驚異的な身体能力を持つ元リトルリーグの天才。
七原の親友、三村信史はバスケ部エースで、七原に負けない身体能力を持ち、さらに博識でハッキングや爆発物まで扱える。
同じく七原の友人、杉村弘樹。長身で中国拳法の達人。
川田章吾、バトルロワイアル経験者で前回優勝者。
相馬光子、女子不良グループのリーダーで、絶世の美少女。悲惨な過去のせいで、人間不信かつ冷酷。
桐山和雄、男子不良グループリーダー。頭脳明晰、驚異的身体能力、格闘能力を持つ天才。だが幼少期の事故で脳が損傷しており、一切の感情や倫理が欠如している。

等々、中学生以前に強化人間みたいなのが沢山。
主要メンバーではヒロインの中川典子が唯一普通の人か。
正直、個人的にはあんまりキャラクターとしての魅力は感じなかったけど。周りが濃すぎるからな……。
この作家の凄いところは42人の生徒をね、ほとんど全員、キャラクターとして描いてること。
大抵は主要メンバー以外は、その他大勢的な扱いになるんですけどね。映画版ではそうだったし。そのせいで、映画版は原作に比べてかなり物足りない物になってしまったが……まあそれで映画版を責めるのは酷というものだろう。あれが普通なのです、原作をが異常なのです。
私的に好きなキャラクターは、桐山和雄と相馬光子。七原、川田や三村、杉村といった、主人公サイドの人間に対し、殺し合いに乗って、クラスメイトを殺しまくる側の代表二人。例のごとく、悪役好きなので。ていうか、彼等はゲームのルールに従っているだけなので、厳密には悪人ではないが。
桐山和雄は先ほど書いた通り、人間離れしたスペックの持ち主。
しかも感情がないので、殺人、その他に対して、一切の躊躇がない。ゲームの参加も、コインを投げて表裏で決めたという。桐山にとっては、別にどちらでも良かったのだ。いや、ゲームに限らず、彼にとっては人生そのものが、何の感情も伴わない、暇つぶしにすぎない。
もし桐山のコインが表で、ゲーム参加ではなく、政府連中と戦って、脱出することを選んでいたら……多くのバトロワ読者が想像するIFだ。
おそらく、桐山の頭脳と能力を持ってすれば、政府連中を出し抜くことも可能だろう。しかも桐山がゲーム参加をしなければ、三村の学校破壊も成功していたはず。
七原、三村、桐山と不穏分子を三つも抱えた、政府にとって最悪の展開になっていただろうな。
桐山はその特性上、内面が語られる場面は一つもない。その代わり、不良グループでの彼の参謀、沼井充を通じて、桐山について多くが語られる。
沼井が上級生に絡まれているときに助けてくれたこと、その時の喧嘩の強さ、沼井が桐山を不良グループに誘ってからの日々。沼井の信仰にも近い、桐山に対する尊敬具合。腐女子が見たら、確実にガチホモフラグだろうってくらいに。
それゆえに、桐山の裏切りは衝撃が大きい。絶対的信頼を感じていたのは、沼井が方だけだった。
いや、桐山に仲間という概念がない以上、裏切りという言い方は適切でないかもしれないが……。沼井は桐山と沢山の時を過ごし、常に参謀として側にいながら、桐山の笑顔を一度も見たことがなかったのだから。

ただ、桐山は沼井を殺した際に、こめかみのあたりに、軽い疼きのようなものを感じている。そこは、かつて桐山が脳に傷を負った際の、怪我の患部。自分を慕ってくれた沼井の存在は、傷付いた桐山の脳にも、何かしらの影響を与えたのかもしれない。
映画版では、まったく違うキャラクターで、自分から殺人ゲームに参加する異常者として描かれている。これはこれで嫌いではないが、もはや桐山ではないな。
漫画版は基本設定は同じだが、超人具合と冷酷さがかなり誇張されている。過去の回想に出てくる髪を卸している姿が無駄にかっこいい。
余談だが、俺は高校時代、陰で桐山和雄と呼ばれていた。いや、マジで。美形で超人的、という意味ではなく目つきが悪く人殺しみたいな印象(てか初対面の人の第一印象、いっつも人殺してそう言われる)なのと、無表情で笑顔がない、頭のネジが飛んでそうってあたりで。周囲では桐山はあんまり人気なく、気持ち悪いとか言われてたから、悪口のつもりで言ってたんだろうが……生憎だな、桐山和雄ファンの俺としては最高の褒め言葉だぜ!

相馬光子は桐山と同じ、ゲームに乗った人間ではあっても、事情が少し異なる。
小学生の頃に母親に売春を強要されたり、強姦されりと、悲惨な過去のせいで屈折し、不良少女になってしまった。
「私、奪う側に回ろうと思っただけよ」
彼女を象徴するこの台詞。周りの人間は彼女から奪うことしかしなかった、誰も彼女に与えてはくれなかった。だから彼女は人から奪う側に回った……。
相馬光子もまた、俺の好きな病みヒロインだ。
正直、中川典子とかは純粋で良い子だが、光子の前では、彼女の発言や思考は薄っぺらい綺麗事にしか聞こえない。
できることなら、彼女には幸せになって欲しかった。


そういえば、長崎の佐世保、首切り少女の事件の時、犯人の子がバトルロワイアルを読んでいたというので問題視されてたが……アホかと、馬鹿かと。
バトルロワイアルはハードカバーだけで100万部以上売れたし、文庫本も出てる。
漫画版は全15巻で700万部売れてるし、映画も大ヒット。しかも流行りの中心は十代の若い世代。つまり、バトロワ世代の十代で、バトロワを読んでるとか好きだっていうのは珍しくもなんともないわけ。
十代の犯罪者がバトロワを読んでたから、バトロワは有害っていうのは、犯罪者の家に炊飯器があったから、炊飯器が犯罪を誘発したって言ってるのと同じレベル。
バトロワの同人小説を書いてたらしいけど、俺らもやってたけどな。自分のクラスでやったらどうなるかとか書いたりして(笑)
あとバトロワのグッズでカードゲームあったから、絵の得意なやつがクラス全員の似顔絵描いて、オリジナルのバトロワカードゲーム母校バージョン作って遊んだり。
うちのクラスから犯罪者が出たら、恐ろしいバッシングくらっただろうな、バトロワ(笑)

ちなみに、俺はバトロワが映画化とかで騒がれる前に原作版を読んで、面白かったから周りの人間に薦めてた。
でも、分厚いからって誰も興味持ってくれない。まあ、周りに読書好き自体少なかったし。
と・こ・ろ・が、メディアで騒がれる様になったとたんに、皆、貸してくれとか言ってきたのです。
作品の内容なんて関係ないのね、大事なのは話題性とステータスなのね、と悟った時だった。



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